りんごは小さい方がおいしい




写真は紅玉です。左側の大きい方は自然食品店で求めた有機栽培のりんごです。重さは約200グラム、価格は1個230円でした。小さい方は知人に産地で直接仕入れてもらったものです。重さは約100グラム、価格は1個20円でした。十分の一!流通経費がかかっていないとはいえ、あまりと言えばあまりです。

食べ比べてみました。

大きい方は色目もきれいで傷もありません。香りは乏しく、甘味はあるが、酸味は弱い。とてもジューシーですが、果肉は粗く、口の中で水分と口どけの悪い繊維とに分かれる感じです。、噛んでいるうちにくたびれてしまい、一個食べ終わるまでの間、まるで修行でもしているような気になります。お菓子にはとても使えるしろものではありません。

小さい方は赤い色は薄めで、傷や「サビ」といわれる果皮のざらつきも結構あります。香りはそこそこあり、酸味は強く、果肉は緻密で、水分と果肉のなじみがいい感じでした。強い酸味が味に深みと締まりを与えています。
100個ほどの小さなりんごの中に、赤い色がとりわけ薄く、ところどころが黄色くなっているものが数個あったのですが、それが最も香り高く美味しいものだったことをつけ加えておきます。


品質に見合った価格になっていないと思うのです。もちろん品質とはりんごの食べものとしての内容のことで、色合いや見た目のことではありません。観賞用ではないのですから。

このような小さなりんごや、色が悪いもの、傷やサビのあるものは売りものにならないということです。しかしながら、食べものとしてのりんごに、その大きさに何の意味があるのでしょう。
色をよくするために収穫前に葉を取って、その結果養分が実にいかなくなるなんて…。淡い赤に黄色がすじのようにさしこんでいるのも、なかなか綺麗なものです。
傷やサビだってなんということはありません。三日も見れば慣れてしまいます。
りんごは、葉を取らないと枝葉が触れて傷がつきやすくなるのだそうです。

ある農家の方の言葉として聞いたことですが、りんごに限らず、果物にはそれ本来の大きさというものがあるということです。無理に大きくするのは自然ではないということでしょう。そういえば、フランスのりんごは今の日本のりんごに比べると小ぶりのものが多かったように思います。
私の30数年の経験からも、すべてとは言いきれませんが、りんごは同じ品種のものならば、おおむね小さい方が美味しいといえます。そのうえ、小さいりんごの方が長持ちもするんですよ。


りんごの話

りんごの季節です。ですが、美味しいりんごが見つかりません。

3年前に‘クチーナ’というりんごに出会って、やっといいりんごにめぐり逢えた、と舞いあがっていたのですが、その後ずっと出来はよくないようなのです。
‘紅玉’も八方手をつくして、色々な所から取り寄せてみるのですが、いいものがありません。お菓子作りにふさわしい‘ゴールデン’はもう完全に姿を消してしまったようです。

美味しいりんごとは何か、もう一度考えてみようと思います。


いいりんごの条件とは、まず第一に香り高いこと。部屋に数個置いただけで部屋中がりんごの香りに包まれるほど充分な香りがあること。この時季スーパーなどに何百個もりんごが並べられていても、近寄ってもほとんど何の香りもしません。悲しい限りです。

りんごに限らず、果物の魅力はその香りにあります。さらに、お菓子作りにとっては、煮ても焼いても色んな加工をほどこしても、その香りがしっかり残ることが求められます。
考えてもみてください。たとえば、お菓子作りには果物をピューレにしたものをよく使いますが、そのピューレにその果物特有の香りがなければ、使う理由がなくなってしまいます。甘味と酸味と色だけでは何の果物だか分らないではありませんか。

本来果物はその香りによって自分の存在を知らせているのだと思うのです。りんごがりんごであって梨でも桃でもない、他の果物と区別する要素は唯一香りにある、甘いか甘くないか、酸っぱいか酸っぱくないか、固いか柔らかいか、などはその果物を特定する要素にはならない、と私は考えています。

りんごにも洋なしにも桃にも、さらには杏やラズベリーにも、どこかバラの花を思わせる、うっとりするような香りがあります。そしてそれぞれに異なった特有の香りがあります。それこそが果物にとって最も重要なことだと思うのです。


そして、りんごは、りんごに限りませんが、生でそのまま食べる場合でも、お菓子作りに使う場合でも、果肉の質が緻密できめ細やかなことが大事です。
このところ手にはいるりんごのほとんどは、よく言えば非常にジューシーですが、口の中で噛んでいると大量の水分と繊維のかすとに分離して、果肉はどこに?といった感じなのです。果肉の内容が充実していないのです。
このようなりんごをお菓子作りに使っても、いい結果は望めません。オーブンで焼いても身縮みが激しく、外側はつっぱった皮みたいになり、中には身がほとんどないといった感じになります。ジャムのように煮てもバターでソテーしても、大量の水分が分離して、まるで水煮のようになってしまいます。煮詰めるのにも時間がかかり、目減りが激しく、もともと乏しい香りが全くと言っていいくらいなくなってしまいます。

香りの乏しさや果肉の希薄さは、ミネラル分や栄養素の少なさから来ていると思われます。

どうしてこんなりんごばかりになってしまったのだろう…?


果物に火を通して食べる習慣があまりない日本人の多くは、りんごにシャキシャキ感を求めるようです。りんごに限らず、他の果物でも、また、野菜でもシャキシャキとしてみずみずしいものを好むようです。フランス料理ではよく果物に火を通して食べますし、洋なしの果肉はクリーミー、柿はスプーンですくって食べるほど熟させ、野菜も非常に柔らかく調理することが多いのと、いい対照ですね。

シャキシャキ感を好むのはそれが鮮度の証しだったからだと思うのです。りんごは日が経つとそのシャキシャキ感がなくなって、柔らかくなり、ぼそぼそとした感じになります。産地では「ボケる」と言うそうですが、ボケたのはつまり古くなった、悪くなった、につながって嫌われたものと思われます。

とれたてならば、どんな種類のりんごでもシャシャキとしてみずみずしいものです。そして日が経つとともにボケていきます。しかし、都市化が進んだ現在、それでは商売にならない、日が経ってもシャキシャキ感を保つような品種や育て方が選ばれてきたのではないでしょうか。その結果が皮が丈夫で、繊維が強く、糖度の高い水分を大量に含むスポンジ状の果肉のりんごばかりになったのではないかと思われます。いわばシャキシャキ感だけがひとり歩きして、甘くてシャキシャキ感さえあればいいという風になってしまったのではないかと思うのです。


考え方をちょっと変えてみたらどうでしょう。

お分かりのように、シャキシャキ感は今や必ずしも鮮度の証しとはなっていないのです。ならば、シャキシャキ感をおいしさの唯一の、あるいは優先する尺度とする感覚を考え直してみてはいかがでしょう。

甘さに関しても同じようなことがいえます。今は甘いものは摂りすぎを心配しなければならない程ふんだんに有り、また、加工食品には砂糖や、その他の色々な種類の糖がたくさん使われています。それに加えてこの国では料理にも砂糖を使う習慣があります。果物に甘さを求める必要性は少なくなっていると思うのです。
果物に甘さは欲しいですが、甘ければいいというものではありません。


‘本当に美味しいりんごはボケても美味しい。’ましてお菓子に使う場合は少しくらいボケてもほとんど問題とはなりません。その方がいいこともありますし、長く置いておくと、えもいわれぬ魅惑的な香りに変わることさえあります。随分昔に美味しいりんごがあった時に、冷蔵庫で春までとっておいても充分に美味しく、お菓子にも使えていたことを覚えています。
大事なことは香りと果肉の内容の充実なのです。


このような考え方を理解していただける生産者の方、いらっしゃらないでしょうか?


マドレーヌ

「トランスポーター」というジェイソン・ステイサム主演の映画をご存知ですか?
プロの運び屋を主人公としたアクション映画ですが、事件の鍵を握る女が主人公に朝、マドレーヌを焼いて、オーブンから出してすぐ食べさせるシーンがあります。そこへ知り合いの刑事が入ってきて、俺にもくれ、子供のころ母親が毎朝焼いてくれてたのを思い出す、と言うのです。

そうなんです!マドレーヌとはそういうお菓子なんです。毎朝焼いてくれていたとは、焼き立てを毎朝食べていたということですね。

日本では、マドレーヌといえばお菓子屋の詰め合わせのギフトなどに必ずはいっていて、何週間もあるいは何ヶ月も日持ちのするお菓子として知られています。日がたっても固くならないように、しっとりふわふわにする工夫はすごいなぁと思わせます。
しっとりふわふわが日本人の好みだからでしょうか。マドレーヌでもフィナンシエでもパウンドケーキでも何でもかでも同じような食感になって、それぞれのお菓子の個性なんかなくなって、みんな同じようになってしまっています。

焼きたてのマドレーヌはまわりはサクッと中はふわふわ、バターや蜂蜜の香りが強烈にして、こんなものを朝から食べたら、それは元気も出るし、幸せです。
日がたって固くなったら、カフェ・オ・レやココアやテ・オ・レにひたして食べますが、やはり、マドレーヌは焼きたてに限ります!


金属製ボールがレンジで使える?




金属製のボールを電子レンジに入れるなんてとんでもない、火花は散るし危ないじゃないか、そんなの常識じゃないかと叱られそうですね。

私の物つくりを支えてくれている道具たちのひとつに、フランス製の〈18-10〉ステンレスのボールがあります。たくさんの長所があって使い心地がよく、重宝しているものです。これはなんと電子レンジに入れて使えるのです。

〈18-10〉というのは、鉄の合金であるステンレスに含まれるクロムとニッケルの量をあらわしていて、クロムが18%、ニッケルが10%ということのようです。日本で一般に売られているステンレスボールはほとんどが〈18-8〉のステンレス製で、これはもちろん電子レンジには入れてはいけません。
ところが、〈18-10〉のステンレスになるとレンジのマイクロ・ウェイブに反応しないようで、レンジで使えて大変便利です。だいたい数字が明記してありますが、分らない場合は磁石をくっつけてみます。100パーセントそうだとも言いきれませんが、〈18-8〉ステンレスは磁性体で磁石がつき、〈18-10〉ステンレスは非磁性体で磁石がつかないようです。


使ってみて気がついたいくつかの注意点を添えておきます。

1.ボールの外側や上のほうに水分や汚れがついていると、異常に熱くなったり焦げたりすることがあります。必ず清潔で乾いたものを使います。
2.ラップをつけたり、プラスチックや金属のへらなどを一緒に入れると、材質によっては溶けたり焦げたりして危険です。
3.温める程度の利用にとどめて、いわゆる加熱調理には使わないほうがいいようです。

私はバターを温めたり、チョコレートを溶かしたりするのに使っています。チョコレートでは、レンジで溶かして、そのボールをそのまま直火にかざしたりもできてとても便利です。


このフランス製のボールはほかにもいい所がいくつもあるので、つけ加えておきます。

1.材質が固く傷つきにくい。私が30年以上使っているものもありますが、へこみも目立った傷もなく、ほとんど新品同様です。ホイッパーやハンドミキサーの羽根は〈18-8〉ステンレスより固いステンレスであることがほとんどなので、〈18-8〉ステンレスのボールで使うと、傷ついて材料に色が出たりすることがあります。〈18-10〉ステンレスならそんな心配はありません。また、酸にも強く、レモンなど酸味の強いフルーツのジュースやピューレにも安心して使えます。
2.汚れが落ちやすく洗うのが楽です。
3.底が平らで安定がよく、鍋に湯せんにかけるのにも丁度いい形をしています。
4.平らな底から少し斜めに立ち上がる側面の部分が真っすぐでカーブしていないので、木べらやホイッパーなどで側面についた材料をけずり易く、いいあんばいです。

また、ちょっと気づきにくいのですが、この側面の立ち上がる角度が実に絶妙で、混ぜる時にボールの中での材料が外側に逃げていく感じがなく、混ざり方がとてもいいのです。
お菓子つくりでは、粉を混ぜたり泡立てた卵や生クリームを混ぜたりするのに、なるべく少ない回数で混ぜたほうがよいものも多く、よくできているものだと感心させられます。
フランス菓子の特徴のひとつである、口どけの良さやさっくり感を作り出すことを、陰で支えているのだなぁと思えるくらいです。


買い物はコミュニケーション

買い物はコミュニケーションである、と言った人がいました。
同感です。
私は今から33年前に出した著書「マイウェイフランス料理」の中で、尊敬するルノートル製菓学校の校長であったムッシュー・ポネの言葉を借りて、次のように書きました。

「・・・これはいわば職人のメソッドです。これと対照的なのはアメリカの工業的、産業的メソッドといえましょう。・・・すべてのメソッドというものは、決して悪いわけではないのです。消費者が何を要求するかに適応させることが大事だからです。しかし、アメリカのメソッドは、フランスでは成功していないようですね。アメリカのメソッドは、いわばスーパー・マーケットと同じ、人間関係抜きです。彼らもいいものを作る努力はしているのでしょうが、結局は金を多く、速く稼ぐことなのですね」

ムッシュー・ポネは、職人はこれとまったく反対で、利益を得るのに時間がかかるというのです。しかし職人は人間と直接関わることができるではないか、ともいっています。

「だから職人は、客の好みや習慣までも知ることができる。しかし産業化のメソッドでは、これは問題にもなりません。自分の作った菓子がどこへ買われていって、だれが食べてくれるのか、そんなことはわからないでいるのです。超大型店舗やスーパー・マーケットがその良い例でしょう。客は物を買っても、だれとも話をせず、ただ支払いをして出て行く。そこには人間同士の会話も触れ合いもありません。客は売り手、作り手からのアドバイスを望んでいても、買った物がなんであるかさえ、充分知ることができないのです。これは一種の人間関係の破壊とさえいえます」
「私は自分の仕事を大変すばらしいものだと思っています。・・・人々の楽しみの一つの創り手であり、提供者である。・・・われわれはすべての家庭の喜びに参加できるということです」


フランスに旅行で行ったら、3年ぶりなのに売り子さんが名前まで覚えてくれていて、手を差し出してあいさつしてくれたり、はじめての店なのに、3日後に食べるのならこのくらいの熟成がいいと、チーズを選んでくれたり、色んな話をしたり、フランスではあたりまえのことですが、買い物自体がなんともうれしく楽しかったものです。
でも、我が日本ではスーパーマーケットやコンビニが隆盛で、話をしなくても買い物ができる、そのほうが面倒くさくなくていいといった人が増えているようで、ちょっと複雑な心境ではあります。個性のある個人店がどんどん姿を消し、スーパー、コンビニや、どこの街でも見かけるような店ばかりが増えていくのは、なんだか温かみに欠ける、面白みの少ない街になっていくような気がしています。一消費者として、コミュニケーションをとりたくても、それができる店が少なくなっていくのは残念です。

黙って店に入り黙って物を買い黙って出て行く、店側はそれでもお金になればいいか・・・そんなことはない、断じてない、のです。

私たちは、「このチョコレート・ケーキはあまり冷たくないほうが美味しい、冷蔵庫から出して数分おいたほうがより美味しいですよ」とか、「りんごのパイは焼きたての温かいうちは酸味が強く、冷めるとやわらぎますよ」とか、「このケーキには甘口のシャンパンが最高に合いますよ」といった、プロとして色んな情報を与えられるのが喜びなのです。
私たちは、「お菓子を普段食べない主人がおいしいおいしいと言って、ペロリと2個も食べましたよ」とか、「買っていったジャムをブリー・チーズに合わせたら最高のマッチングでしたよ」といったお話を聞くのが、この上ない喜びなのです。それこそが、売り手、作り手の原動力なのです。

買い物はコミュニケーションであると思います。もしかしたら、時代にあらがう考え方なのかもしれません。でも、物を通して買い手と売り手、作り手とがつながっていくこと、それは買い物の楽しみのひとつでもあり、双方に大きな喜びをもたらしてくれることだと思っています。


食べ物の力

30数年前、パリで料理とお菓子の修行をしていた頃のことです。

コルドン・ブルーも一ヶ月間の夏休みで、レストランでのアルバイトも労働許可証がなくてはだめだと断られ、料理でどう生計を立てるかという具体的なイメージもまだつかめていず、あれこれ悩んでいた頃でした。

知り合った友人達も国に帰ったりヴァカンスに出かけたりで、話す相手もひとりもいなく、私はかなり落ち込んでいて、ほとんどうつ病のようなぎりぎりの状態でした。

気がついたら、もう一週間も誰とも話をしていない、そんなある日のこと、ふらふらと街に出かけました。随分長いこと歩いて、とあるレストランに行き当たりました。
パレ・ロワイヤルの一角で回廊のような歩道にテーブルが並べられ、ちょうどお昼時。歩き疲れたこともあり、運良くテラスの席が空いたのでそこで食事をすることにしました。
回りはほとんどがカップルで、とてもにぎやかでした。私はひとり暗い顔をしていたと思います。

ずっと食欲もなかったけれど、食べよう、とにかく食べよう、食べなくては、そう思ったのです。

メニューはプリ・フィックス、金額が決まっていて、前菜、メイン・ディッシュ、デザートのそれぞれ何品かある内から1品を選び、4分の1本分のワインがついているというものでした。

前菜のテリーヌをひとちぎりのバゲットに乗せて口に運び、そして赤ワインを口にふくんだ時から何かが変わり始めました。まわりの喧騒も楽しそうな語らいの光景も、すべてが私の頭の中から消えてしまっていたのです。
メインの牛肉は少し固かったけれど、噛むごとに押し寄せてくるようなパワー、つけあわせのじゃがいももいい香り、そしてこのワイン、テーブルワインなのになんて香りなんだ・・・すべてのものにほんもののパワーがあったのです。

残ったワインを飲みながらデザートを待っている頃には私はすっかり元気になっていました。

そうだ!食べ物にはこんな力があるじゃないか!この瞬間でした、私が本気で食べ物の仕事をしようと思ったのは。もちろん、食べ物の仕事をしようと決心してフランスに行き、そのつもりで毎日を過ごしていたことに間違いはないのですが、この日が私の本当のスタートとなったのです。

食べることは生きること。ほんもののパワーを持った食べ物は私たちを元気づけ、生きる力と喜びを与えてくれる、私はそう信じています。


大好きな人を待つ

もう35年以上も前のことになります。パリへ行って、しばらく暮らして、驚いたことがあります。驚いたというより、パリにいる間じゅう、ずっと感激させられていたことです。それは多くの食べ物にはっきりとした旬、季節があったことです。
えっ?そんなのあたりまえじゃないかって?えー、日本は四季がはっきりしていて、季節感を大事にするところですから、あたりまえかもしれません。でも、彼の地での印象は私には鮮烈かつ強烈なものでした。

秋、ちょうど今頃はぶどうやきのこ。野生のきのこの種類の多さと香りの高さにはびっくりです。ここは田舎じゃない、大都会パリなのにと思ったものです。
秋深まれば、なんといってもジビエ。鴨、鳩、野うさぎや鹿、いのししまでもが、姿のまま肉屋の店先に並ぶのは圧巻です。この時期だけの、うずらとぶどうのローストは私の得意料理のひとつでした。血でとろみをつけた野鹿の煮込みなどは、あまりにも強烈な風味のため、これっきりでいいかな(?)とおもわせるほど。でも次の秋にはまた食べたくなるのだから不思議です。
そして、あの洋なし。確か11月だったと思います、ウィリアムという品種の洋なしがほんの2~3週間だけ出回っていたのは。近づくだけで匂う、熟成したお酒のような香りと、くだものとは思えない、ほとんどクリームのようにとろける食感。芳醇な香りと内に秘めた上品な酸味は、極上の貴腐ワイン、シャトーディケムを想わせるほどでした。

冬、クリスマス・シーズンは、フランス中の美味が集まってきます。フォアグラ、トリュフ、スモークサーモン、ブレスの鳥・・・。冬のパリは上を見れば雲ばかりだが、下を見ればおいしいものばかり。

長い暗い冬が終わりに近づくと、春野菜がいっせいに出てきます。葉つきの可愛らしいにんじんや玉ねぎ、グリーンピースやいんげん、かぶ。すべて裸のまま、八百屋や市場にうず高く積まれます。その新鮮な輝きは、手でおしのけたくなるような低い暗い雲をいっきに取り払ってくれるような気分にしてくれます。これから始まる明るい解き放たれるような季節の到来をつげてくれるかのようで、なんだかうきうきしたものです。

6月にはアスパラガス、フランスのアスパラガスは感動的なおいしさ、私のアスパラガスの概念を完全にふきとばしてくれました。きのことしては珍しくこの時期が旬のモリーユ(あみがさだけ)は強烈な香り。アスパラとモリーユを合わせた鶏肉の煮込みは、様々な香りと味のシンフォニーのよう、この時期だけの楽しみのひとつでした。

夏が近づくと、「もうすぐ赤いフルーツの季節だよ」といって、新聞、雑誌、テレビ、道行く人の話題になり、みずからとひとの気持ちをかきたてます。
真っ赤に熟した芯まで赤い苺、その豊かな香りは、やはり、よく知っている果物だと思っていた私の苺に対する概念を吹き飛ばしてくれました。
さくらんぼ。うず高く積まれたものをスコップですくって、紙の袋にどどっと入れてくれ、500グラム、1キロという単位で買って帰るのですが、帰り道で随分減っていたのを思い出します。今だけと思って、くる日もくる日も食べるので、この時期は指先がむらさき色に染まってなかなかとれなくて、困ったものでした。
そして、あのラズベリー。妖艶な香りは、まさに筆舌に尽くしがたい。最高級の三ツ星のレストランで、技巧をつくしたきらびやかなデザートの中に、この時期だけ、生クリームを添えただけのラズベリーがメニューにあったのを思い出します。ただラズベリーだけが器にはいって、軽くホイップした生クリームが添えてあるだけなのです。一緒に口に運んだら、な、なんだこれは!・・・身体中の細胞がとけてしまったかのようでした。

何だろう、旬の食べ物を待つこの気持ちは。大好きな人を待つ気持ちに似ている。久しぶりに会える心の友、元気そうだがどんな顔してるかな、自分は変わっただろうか、積もる話・・・、日ごとに会えるよろこびと期待は深まって、そして・・・。そんな気持ちに似ている。


あふれる香り、味は、その時期だけ、短いからこそ、命を一瞬に凝縮したかのようなパワーを感じさせます。旬の時期が過ぎると、残念ながら別れのときです。でも、こんなに楽しませ、喜ばせてくれたのだから、充分満足。また来年、その時期が近づくとワクワク、ドキドキ、なんというよろこびなんでしょう。
一年中いつもあってほしくなんかない・・・
お願いだから、この無上のよろこびを奪わないでほしい・・・


共立てと別立ては作り方の違いだけ?

Q:スポンジの作り方で、共立てと別立ては作り方の違いだけで、同じものができるのでしょうか?


A:同じスポンジには違いないのですが、共立てのスポンジと別立てのスポンジは全く別なものと認識したほうがいいでしょう。

共立てのスポンジは全卵を泡立てて作ります。卵白が泡立つわけですが、卵黄が共に入っていることにより、泡立ちをおさえることになります。泡立ちがおさえられながら泡立つと、その泡はきめ細かなものとなるようです。
結果として、目の細かいスポンジが得られるわけです。目が細かいということは、ふわふわの柔らかいスポンジとなります。

一方、別立てのスポンジは、卵に関していえば、卵白だけで泡立てるので、泡立ちをおさえるものがなく、どんどん泡立ってしまいます。そのため、共立てと比べると、きめの粗い泡立ちとなります。結果として、目の粗い、どちらかというと固めの、しっかりしたスポンジになるわけです。

おさえつけられると、頑張って細かい泡を作り、自由奔放にされると、のびのびと大きな泡を作るとイメージしたら、人間世界と似ているようで面白いですね。

もちろん、それぞれ長所と短所があります。
共立てのスポンジは、比較的口どけが悪く、風味が希薄な反面、きめの細かいふわっとした柔らかさ、歯やあごに力のいらない優しい食感が特徴です。ショートケーキのような、ふわっとしたシンプルなクリームと合わせて、全体にやさしい、ふんわりとしたおいしさを表現することができます。

別立てのスポンジは固めですが、口どけがよく、力強い風味を味わえるのが特徴です。また、さくっとしたものから比較的柔らかいものまで、実に多くの種類があり、さまざまな食感と風味を味わうことができます。
フランス菓子では、この別立てのほうが圧倒的に多く使われていて、スポンジひとつとっても、色んな味わいを楽しめるのだなぁと思わせてくれます。


シェソアのスポンジの作り方(2)

シェソアのスポンジの作り方(1)の続きです。


〈混ぜる〉
1. ふるっておいた粉を3~4回に分けて入れ、ゴムべらか木べら、あるいは金属のへらなどで混ぜます。手伝いが居る場合は、さらさらと連続的にふり入れてもらいます。粉をいちどに加えるとダマになりがちです。
混ぜ方がポイントです。右利きの場合、ボールの右はしから始めて、ボールの直径をたどって中心を通り、左はしまで動かします。へらを押しつけてボールの側面も底も削りとるようにしながら、最後はへらを持った手の手首を返して、底の生地を上に持ってくるようにします。粉はボールの底や側面にへばりつきますので、その粉をよく削りとりながら上下の生地を入れ替えていくイメージです。
そうしたら、左手でボールを少し手前に回し(円周の1/6位)動かして、混ぜる場所を替え、同様の混ぜ方を連続的に続けていきます。連続的にやると、ボールを回す左手がへらを動かす右手を迎えに行くような混ぜ方となります。
泡立てたものと何かを混ぜるときの、重要な基本的な混ぜ方のひとつなので、ぜひマスターしてください。

2. 粉が完全に見えなくなるまで、充分に混ぜます。この目の細かいソフトなスポンジの場合、多目の砂糖が入り、細かい強い泡立ちになり、かつ加える粉の量も少なめなので、混ぜても泡は消えにくいはずです。もし泡が消えやすいようであれば、これまでの段階のどこかがおかしかったということになります。
また、充分混ぜているうちに、全体のかさが減ったり、色が濃くなったり、わずかでも粘りや固さを感じるようであれば、それは混ぜすぎの知らせです。混ぜすぎは、結果としてふくらみが悪くなったり、固くなったりする原因となります。全体の見た目の量と泡立ちの状態に注意を集中して、頭に焼きつけ、次に作るときに想いおこして下さい。

3. 次に、粉を混ぜたこの生地に、バターと牛乳を混ぜます。
バターと牛乳は合わせて溶かしておき、熱湯につけておくか、火にかけて、沸騰直前の温度(80度位)にします。この熱い〈バター+牛乳〉の中に、先の粉まで混ぜた生地の一部をすくいとって加えます。量は〈バター+牛乳〉の見た目の量の倍くらいです。
へらかホイッパーでおもいきり勢いよく速く混ぜます。完全に混ざったら、これを全部、粉まで混ぜた生地のほうへ加えて、全体をへらで切り混ぜます。混ぜ方は粉を混ぜた時と同じです。ゆっくり、注意深く混ぜます。
脂肪分は泡をよく消すはたらきがあるので、混ぜすぎないよう注意してください。混ぜ足りないのもよくありません。生地のつながりをむらのあるものにし、ところどころボソッとしたり、こわれやすかったりするスポンジになることがあります。

〈バター+牛乳〉を熱くして混ぜるのは、熱で泡がこわれるのではないかと、ちょっと抵抗があるかもしれませんが、実際は冷たいほうが泡を消しやすく熱いほうが泡を消しにくいのです。
また、生地の一部を混ぜるのはとてもいい方法です。バター+牛乳、あるいはバターだけを混ぜる場合でも、直接全部生地に加えて混ぜると、これは生地に比べて重いので底に沈み、なかなか混ざりにくく、結果として全体が混ぜすぎになることがあります。また、混ぜ終わってボールの底をさらうと、混ざりきらずに底に沈んでいたものが顔をだすことを避けることができます。この方法は、据え置き型の大型のミキサーでやる時に特に便利な方法です。

4. 混ぜ終わった生地は、ただちに用意しておいた天板、または型に移します。型に移した場合は、ざっと平らにするだけです。天板の場合は、パレット・ナイフで同じ厚みに平らにのしていきます。だいたい同じ厚みならいいのです。あまり神経質に平らにする必要はありません。パレットでたくさんさわりすぎると生地をいじめることになり、泡を消したり、ねばりを出したりすることになります。できるだけ少ない動きで厚みを整えるのが大事です。


〈焼く〉
1. ただちに充分温めておいたオーブンへ入れて焼きます。
時間はオーブンによって異なりますが、大体以下の通りです。この範囲をこえることもあります。生地の厚みが薄い場合はオーブン温度は高く、時間は短く、厚くなるほど温度は低く、時間は長くが原則です。

   天板の場合……10分~12分
   型の場合  ……25分~35分

大体ふくらんだあと、奥と手前の焼きむらがあるようであれば、前後を入れ替えてください。そっと手早くおこなって、庫内温度をあまり下げないよう注意してください。
ふくらんで焼き色がつき、真ん中あたりを軽くおさえてみると、おさえたあとがへこんだままにならず、戻ってくるようであれば、大体焼き上がりです。

焼き物は〈焼き〉が最もむずかしいといえます。オーブンは一台一台異なり、それぞれくせもあるからです。それに加えて、室温、湿度、季節、あらゆる外的条件によって、適切なオーブン温度、焼き時間も変化します。
まずは、とにかくよく見ることです。まわりばかりが濃く色がつくようなら、温度が高すぎるのかもしれません。逆に全体がなかなか色づかないなら、温度が低すぎるのかもしれません。焼き具合、乾燥具合はさわって確かめます。そしてもちろん食べて確かめます。
生地だけでなく、出来上がりのお菓子も食べてみて、このくらいが丁度いい、いや、ちょっと焼きすぎかな、もう少し焼いたほうがいいかなと、それまでのことを想いおこしながら確かめます。そうやって繰りかえしながら自分の感覚を調整して、つかんでいくしかありません。でも、これこそがものつくりのおもしろさだと私は思います。
まあ、少しくらい違っても、失敗などとは思わないことです。手づくりだもの色々できるさ、とおおらかに楽しむほうがいいと思います。予定とは違ったけれど、こっちのほうが美味しいじゃないか、ということもたまにはあったりしますから…。

2. 焼きあがったら、すぐ網(ケーキクーラー)に移して冷まします。型焼きの場合は型から取り出して、上下を返します。天板の場合はオーブンシートごと網にとって冷まします。
冷めてから、表面の皮は薄く切り取るほうがいいようです。天板の場合、裏返してオーブンシートをいったんはがし、再度裏返してから皮を取り去ります。クリームなどと組み立てた場合、スポンジの皮がクリームのほうにくっついてはがれ、できあがりのお菓子をカットした時や、食べる時に、お菓子がばらばらになってしまうことがあるからです。


以上、比較的ソフトな共立てのスポンジの作り方でした。おためしあれ。 Bon courage!(ボン・クーラージュ!)


シェソアのスポンジの作り方(1)

「シェソアの」といっても、特別なものではありません。ごく普通の一般的な手づくりのスポンジです。口どけもそう悪くなく、味わい深いものです。なおかつ、柔らかさもこれでも充分じゃないかと思わせるものだと思います。

スポンジにもたくさんの種類がありますが、これは、いわゆる共立てといわれる、全卵を泡立ててつくるものです。卵を卵白と卵黄に分けて作る、別立てと呼ばれる方法と区別して、共立てと呼ばれます。ジェノワーズと呼ばれるものです。その共立ての中でも、目の細かいソフトな部類です。目が細かければソフトになり、目が粗ければハードになります。

最初にわかってほしいことは、目が細かいか粗いか、柔らかいか固いかということは、良し悪しではないということです。柔らかいスポンジにはやさしい触感、歯やあごに力のいらないホワッとしたやさしさがあります。固いスポンジには風味の強さ、噛む心地よさや口どけのよさがあります。
その柔らかさ、固さにも、とても柔らかいものからとても固いものまで、さまざまなたくさんの段階があります。それぞれに良さがあり、適切な利用のされかたがあるということです。クリームや他の材料との組み合わせによって、また、でき上がりのお菓子に何を求めるか、どういう味わいのお菓子にしたいかなどにより、適切な段階のものを選ぶことになります。

今回は、ソフトなほうの部類のスポンジです。ショートケーキのような生クリームだけのシンプルでフワッとしたお菓子に合います。逆に、たとえば、濃厚なチョコレートクリームやバタークリームとカリカリのナッツといった組み合わせには不向きなこともあります。そういう場合には、同じ共立てでも、意識的に目の粗いスポンジにしたりします。


〈準備〉
1. オーブンは必要な温度にセットしておきます。オーブンによりますが、少なくとも30分は前もってつけておき、庫内を充分に温めておくことが大事です。業務用のオーブンなどだと、1時間以上も予熱しておくことがあるくらいです。
温度もオーブンによってさまざまです。

   天板の場合(40cm×30cm)  ……190℃~210℃
   型の場合(直径18cm~20cm)……160℃~180℃

大体の目安です。この範囲をこえることもあります。オーブンはメーカーによって、機種によって、また、同じ機種でも一台一台違います。最終的には何度も使ってみて、そのオーブンとなかよくなって確かめていくしかありません。焼く時間に関しても同じことがいえます。何度で何分と言いきってしまうことはできないのです。

2. 天板にはオーブン・シートを敷きます。焼型なら底と回りに紙を敷くか、バターを塗って粉をつけます。バターはむらなく塗り、そのバターが固まってから強力粉を少し余分に入れ、型を回すようにしてまんべんなくつけます。それから型をひっくり返して余分の粉を落とし、さらに台にトンと打ちつけるようにして、余分の粉を完全に落とします。室温が高い時は、バターが溶けて粉と混ざり合ってしまいますので、冷蔵庫に入れるなどしておこなってください。
型の立ち上がりが傾いているようなものや複雑な形をしたものなど、紙をつけるのが困難な型には、このようにします。

3. 湯せんにするためのお湯を鍋に沸かし、湯温60℃位にしておきます。

4. ハンドミキサーを使う場合、ボールは泡立て用の羽根で傷つかない材質のものを使ってください。18-10のステンレス製がおすすめです。


〈材料と分量〉
  卵           200g
  グラニュー糖      136g
  薄力粉         91g
  強力粉         13g
  バター          28g
  牛乳           32g

分量は、天板なら40cm×30cm、丸型なら直径18cm~20cm相当のものです。これより小さな天板か型しかなければ、容積を計算して、分量を減らしてください。

1. 卵はMサイズで、1個当たり、黄身が16~17g、白身が34~35g、計50~52g見当のものです。ボールに4ケ割りいれて200gを超えていれば、白身だけを少し取り去って分量の卵になるようにしてください。

2. グラニュー糖は上白糖に比べてすっきりした品のいい甘さになります。上白糖のほうが出来上がりのスポンジがよりしっとりしますが、ちょっと舌をさすようなべったりとした甘さになるようなので、シェソアでは使っていません。目の細かいソフトなスポンジが目的の場合は、砂糖の量が多いことがポイントです。

3. 薄力粉と強力粉はよく混ぜてから、ふるっておきます。シェソアでは北海道産の小麦粉を使っています。

4. バターと牛乳は合わせて火にかけ、溶かしておきます。バターは発酵バターが味の面からおすすめです。


まずは全体の流れをイメージしておきましょう。
〈泡立てる〉→〈混ぜる〉→〈焼く〉という流れになります。

〈泡立てる〉
1. ボールに卵とグラニュー糖を入れ、湯せんにかけて、ホイッパーで混ぜながら35度まで温めます。温めるのが目的なので、ここで泡立てる必要はありません。よく混ぜて砂糖をよく溶かし、温めるだけです。温めるのは泡立ちやすくするためです。温度を厳密に守ってください。これ以上低いと充分に泡立ちにくくなりますし、これ以上高いと、いわゆるボカ立ちといわれる状態になりやすいようです。
ボカ立ちとは、弱くてこわれやすい大きな泡がたくさん立ち過ぎている状態です。見た目にはよく泡立っているように見えますが、次に粉やバターを混ぜた時にとてもこわれやすい泡で、結果として目の粗い少しハードなスポンジになったり、ふくらんだものがしぼんだりしがちです。お菓子によっては、意識的にそうすることもありますが、今回はとにかくソフトな目の細かいスポンジのつくりかたです。

2. 35度になったら、すぐ湯せんからおろし、ただちに泡立てます。速度は最高速にしてください。温かい内に充分に泡立ててしまうのです。一度温まった卵が冷めたものは非常に泡立ちが悪くなりますので、すべての準備を整えておいて、所定の温度に達したら湯せんからおろし、間髪をいれずに一気に泡立てていきます。ハンドミキサーの場合、ミキサーを持った手をじっと固定しておかないで、ボールの中身全体をよく混ぜて回すように動かし続けてください。
ミキサーにもよりますが、5分くらいでかさが増え、かなり白っぽくなります。ミキサーによって、作る量によって時間は変わります。もとの卵の色にもよりますが、クリーム色もしくはオフ・ホワイトといった色になり、もうこれ以上かさが増えないというところまで泡立てます。生地をすくって垂らしてみると、あとが消えずに残ります。泡立ちの具合は、卵の質や鮮度、気温、季節などによって、毎回微妙に異なってくるのですが、それも面白さととらえて楽しむことにしましょう。

3. 充分に泡立ったら、卓上のミキサーなどでしたら、速度を中くらいに落とします。ハンドミキサーだとメーカー、機種によりさまざまです。最初の泡立てがあまり時間もかからず、あっという間に泡立ってしまうようなら、一段階速度を落としてみましょう。もし、泡立ちがゆっくりで時間がかかる、なかなか泡立たないといった印象なら、速度はそのまま、最高速のまま続けます。ここからさらに10分ほど泡立てを続けるのがポイントです。
充分泡立ったものをさらにきめ細かい泡立ちにして、このあと粉やバターを混ぜてもこわれにくい強い泡にしてあげるわけです。これが足りないとスポンジがふくらまなかったり、ふくらんだものがしぼんだりして、失敗の大きな原因のひとつとなります。スポンジがふくらまない原因は、ただ単にこの泡立ての時間の短さによることが多いようです。
ハンドミキサーの場合、10分はかなり長く感じますので、覚悟して続けてください。
第一段階の泡立ちより、充分に細かい目の泡立ちになり、軽く泡立ったものが少し手ごたえのある固さを感じるように変化します。どこまで泡立てたらいいのか、どうなったらいいのかを正確に言葉で表すのは至難です。簡易に比重を計る方法もあるのですが、比重が同じならいいとも限りません。同じ比重でも、目の細かさ、泡の強さがそのつど違ったりするからです。やはり、フィードバックしながら何度もやってみて、自分で確認をしていくのが一番確かだと思います。


スポンジがフワッフワにふくらまない

Q: スポンジがお菓子屋さんで売っているもののように、フワッフワになりません。どうしたらいいのでしょうか?

A: 結論からいいます。菓子屋で売っているもののようにフワッフワには、普通なりません。
フワッフワというのは、非常に目が細かくてソフトなもののことだと思いますが、そうするためには菓子屋では普通、添加物の気泡剤を使います。多くはSP(エスピー)と呼ばれるもので、脂肪酸エステルという乳化剤を各種配合したものです。これはとても便利なものです。

卵、砂糖などと共にこの気泡剤を加えて泡立てるだけ、かなり長時間泡立てますが、とてつもなく目の細かい大量の安定した泡立ちを得ることができます。必ずしも温める必要もありません。粉やバターを加えて混ぜても、パレット・ナイフでのして、たくさんいじっても、また、そのまま少し放置しておいても、泡は消えにくいのです。
たくさん混ぜても泡が消えにくいので、材料をより細かくよく混ぜることができます。結果として、きめの細かい、フワッフワのとても柔らかいスポンジになります。ほんとうに便利なものです。

こういうスポンジが望みであれば、この気泡剤、製菓材料専門店やネットショップなどで手にはいるようですので、使ってみることもできます。でも、メリットばかりでもありません、デメリットもあります。

気泡剤を使うと、あまりにも目の細かい大量の泡の生地になってしまいます。そのため、味が希薄になってしまう、せっかくの粉や卵やバターの味を感じにくくなってしまうのです。体積的に希薄になってしまうのと、大量の細かい泡に包み込まれて、味がかくれてしまうためだと思われます。

それからもうひとつ、目が細かくなるにしたがって口どけが悪くなります。えっ?と驚かれるかもしれません。普通、きめが細かいと柔らかい、柔らかいと口どけがいい、と思いこんでしまいがちですが、実際は、目が細かいと口の中で拡散していきません。
寄り集まって団子になったり、たくさんの唾液が吸われて口の中がかわき、物が飲みこみにくくなったりします。つまり、口どけが悪くなります。それでも、物に水分が多く含まれていれば分りにくいですし、飲み物で流しこんで気づかずに済ましてしまうことも多いのですが。
口どけが悪いと、やはり、風味を感じにくくなって、味が希薄になります。

目が細かくてソフトな食パンと目が粗いハードなフランスパンを比べてみれば、分りやすいかと思います。食パンのほうが好き、フランスパンのほうが好き、それぞれ好みはあるでしょう。でももちろん、それは優劣ではないですね。
食パンには食パンの良さ・個性があり、フランスパンにはフランスパンの良さ・個性があります。食パンには歯に柔らかく、あごに力のいらない、優しい食感があります。身体が疲れている時や、まだ身体が覚めきっていない朝には、この優しさがありがたいと思うこともあるでしょう。
フランスパンには外側のクラストの香ばしさ、パリパリの心地よい食感があり、口どけがよく、飲み込みやすく、粉の風味や酵母による発酵の旨味を充分に感じとれるという良さがあります。


本題に戻りましょう。
店で売っているようなフワッフワなスポンジがいいのだったら、気泡剤をためしてみてください。でも、考え方を変えてみることもできます。
自分で手づくりするのだったら、化学工業的に発展してきた手法をまねする必要はないのではないか。フワッフワをほんの少しだけ我慢しても、口どけもよく味わいもいいのができるのだったら、そのほうがいいのではないか。そう考えてみてはいかがでしょう。