買い物はコミュニケーション

買い物はコミュニケーションである、と言った人がいました。
同感です。
私は今から33年前に出した著書「マイウェイフランス料理」の中で、尊敬するルノートル製菓学校の校長であったムッシュー・ポネの言葉を借りて、次のように書きました。

「・・・これはいわば職人のメソッドです。これと対照的なのはアメリカの工業的、産業的メソッドといえましょう。・・・すべてのメソッドというものは、決して悪いわけではないのです。消費者が何を要求するかに適応させることが大事だからです。しかし、アメリカのメソッドは、フランスでは成功していないようですね。アメリカのメソッドは、いわばスーパー・マーケットと同じ、人間関係抜きです。彼らもいいものを作る努力はしているのでしょうが、結局は金を多く、速く稼ぐことなのですね」

ムッシュー・ポネは、職人はこれとまったく反対で、利益を得るのに時間がかかるというのです。しかし職人は人間と直接関わることができるではないか、ともいっています。

「だから職人は、客の好みや習慣までも知ることができる。しかし産業化のメソッドでは、これは問題にもなりません。自分の作った菓子がどこへ買われていって、だれが食べてくれるのか、そんなことはわからないでいるのです。超大型店舗やスーパー・マーケットがその良い例でしょう。客は物を買っても、だれとも話をせず、ただ支払いをして出て行く。そこには人間同士の会話も触れ合いもありません。客は売り手、作り手からのアドバイスを望んでいても、買った物がなんであるかさえ、充分知ることができないのです。これは一種の人間関係の破壊とさえいえます」
「私は自分の仕事を大変すばらしいものだと思っています。・・・人々の楽しみの一つの創り手であり、提供者である。・・・われわれはすべての家庭の喜びに参加できるということです」


フランスに旅行で行ったら、3年ぶりなのに売り子さんが名前まで覚えてくれていて、手を差し出してあいさつしてくれたり、はじめての店なのに、3日後に食べるのならこのくらいの熟成がいいと、チーズを選んでくれたり、色んな話をしたり、フランスではあたりまえのことですが、買い物自体がなんともうれしく楽しかったものです。
でも、我が日本ではスーパーマーケットやコンビニが隆盛で、話をしなくても買い物ができる、そのほうが面倒くさくなくていいといった人が増えているようで、ちょっと複雑な心境ではあります。個性のある個人店がどんどん姿を消し、スーパー、コンビニや、どこの街でも見かけるような店ばかりが増えていくのは、なんだか温かみに欠ける、面白みの少ない街になっていくような気がしています。一消費者として、コミュニケーションをとりたくても、それができる店が少なくなっていくのは残念です。

黙って店に入り黙って物を買い黙って出て行く、店側はそれでもお金になればいいか・・・そんなことはない、断じてない、のです。

私たちは、「このチョコレート・ケーキはあまり冷たくないほうが美味しい、冷蔵庫から出して数分おいたほうがより美味しいですよ」とか、「りんごのパイは焼きたての温かいうちは酸味が強く、冷めるとやわらぎますよ」とか、「このケーキには甘口のシャンパンが最高に合いますよ」といった、プロとして色んな情報を与えられるのが喜びなのです。
私たちは、「お菓子を普段食べない主人がおいしいおいしいと言って、ペロリと2個も食べましたよ」とか、「買っていったジャムをブリー・チーズに合わせたら最高のマッチングでしたよ」といったお話を聞くのが、この上ない喜びなのです。それこそが、売り手、作り手の原動力なのです。

買い物はコミュニケーションであると思います。もしかしたら、時代にあらがう考え方なのかもしれません。でも、物を通して買い手と売り手、作り手とがつながっていくこと、それは買い物の楽しみのひとつでもあり、双方に大きな喜びをもたらしてくれることだと思っています。