食べ物の力

30数年前、パリで料理とお菓子の修行をしていた頃のことです。

コルドン・ブルーも一ヶ月間の夏休みで、レストランでのアルバイトも労働許可証がなくてはだめだと断られ、料理でどう生計を立てるかという具体的なイメージもまだつかめていず、あれこれ悩んでいた頃でした。

知り合った友人達も国に帰ったりヴァカンスに出かけたりで、話す相手もひとりもいなく、私はかなり落ち込んでいて、ほとんどうつ病のようなぎりぎりの状態でした。

気がついたら、もう一週間も誰とも話をしていない、そんなある日のこと、ふらふらと街に出かけました。随分長いこと歩いて、とあるレストランに行き当たりました。
パレ・ロワイヤルの一角で回廊のような歩道にテーブルが並べられ、ちょうどお昼時。歩き疲れたこともあり、運良くテラスの席が空いたのでそこで食事をすることにしました。
回りはほとんどがカップルで、とてもにぎやかでした。私はひとり暗い顔をしていたと思います。

ずっと食欲もなかったけれど、食べよう、とにかく食べよう、食べなくては、そう思ったのです。

メニューはプリ・フィックス、金額が決まっていて、前菜、メイン・ディッシュ、デザートのそれぞれ何品かある内から1品を選び、4分の1本分のワインがついているというものでした。

前菜のテリーヌをひとちぎりのバゲットに乗せて口に運び、そして赤ワインを口にふくんだ時から何かが変わり始めました。まわりの喧騒も楽しそうな語らいの光景も、すべてが私の頭の中から消えてしまっていたのです。
メインの牛肉は少し固かったけれど、噛むごとに押し寄せてくるようなパワー、つけあわせのじゃがいももいい香り、そしてこのワイン、テーブルワインなのになんて香りなんだ・・・すべてのものにほんもののパワーがあったのです。

残ったワインを飲みながらデザートを待っている頃には私はすっかり元気になっていました。

そうだ!食べ物にはこんな力があるじゃないか!この瞬間でした、私が本気で食べ物の仕事をしようと思ったのは。もちろん、食べ物の仕事をしようと決心してフランスに行き、そのつもりで毎日を過ごしていたことに間違いはないのですが、この日が私の本当のスタートとなったのです。

食べることは生きること。ほんもののパワーを持った食べ物は私たちを元気づけ、生きる力と喜びを与えてくれる、私はそう信じています。