りんごは小さい方がおいしい




写真は紅玉です。左側の大きい方は自然食品店で求めた有機栽培のりんごです。重さは約200グラム、価格は1個230円でした。小さい方は知人に産地で直接仕入れてもらったものです。重さは約100グラム、価格は1個20円でした。十分の一!流通経費がかかっていないとはいえ、あまりと言えばあまりです。

食べ比べてみました。

大きい方は色目もきれいで傷もありません。香りは乏しく、甘味はあるが、酸味は弱い。とてもジューシーですが、果肉は粗く、口の中で水分と口どけの悪い繊維とに分かれる感じです。、噛んでいるうちにくたびれてしまい、一個食べ終わるまでの間、まるで修行でもしているような気になります。お菓子にはとても使えるしろものではありません。

小さい方は赤い色は薄めで、傷や「サビ」といわれる果皮のざらつきも結構あります。香りはそこそこあり、酸味は強く、果肉は緻密で、水分と果肉のなじみがいい感じでした。強い酸味が味に深みと締まりを与えています。
100個ほどの小さなりんごの中に、赤い色がとりわけ薄く、ところどころが黄色くなっているものが数個あったのですが、それが最も香り高く美味しいものだったことをつけ加えておきます。


品質に見合った価格になっていないと思うのです。もちろん品質とはりんごの食べものとしての内容のことで、色合いや見た目のことではありません。観賞用ではないのですから。

このような小さなりんごや、色が悪いもの、傷やサビのあるものは売りものにならないということです。しかしながら、食べものとしてのりんごに、その大きさに何の意味があるのでしょう。
色をよくするために収穫前に葉を取って、その結果養分が実にいかなくなるなんて…。淡い赤に黄色がすじのようにさしこんでいるのも、なかなか綺麗なものです。
傷やサビだってなんということはありません。三日も見れば慣れてしまいます。
りんごは、葉を取らないと枝葉が触れて傷がつきやすくなるのだそうです。

ある農家の方の言葉として聞いたことですが、りんごに限らず、果物にはそれ本来の大きさというものがあるということです。無理に大きくするのは自然ではないということでしょう。そういえば、フランスのりんごは今の日本のりんごに比べると小ぶりのものが多かったように思います。
私の30数年の経験からも、すべてとは言いきれませんが、りんごは同じ品種のものならば、おおむね小さい方が美味しいといえます。そのうえ、小さいりんごの方が長持ちもするんですよ。


りんごの話

りんごの季節です。ですが、美味しいりんごが見つかりません。

3年前に‘クチーナ’というりんごに出会って、やっといいりんごにめぐり逢えた、と舞いあがっていたのですが、その後ずっと出来はよくないようなのです。
‘紅玉’も八方手をつくして、色々な所から取り寄せてみるのですが、いいものがありません。お菓子作りにふさわしい‘ゴールデン’はもう完全に姿を消してしまったようです。

美味しいりんごとは何か、もう一度考えてみようと思います。


いいりんごの条件とは、まず第一に香り高いこと。部屋に数個置いただけで部屋中がりんごの香りに包まれるほど充分な香りがあること。この時季スーパーなどに何百個もりんごが並べられていても、近寄ってもほとんど何の香りもしません。悲しい限りです。

りんごに限らず、果物の魅力はその香りにあります。さらに、お菓子作りにとっては、煮ても焼いても色んな加工をほどこしても、その香りがしっかり残ることが求められます。
考えてもみてください。たとえば、お菓子作りには果物をピューレにしたものをよく使いますが、そのピューレにその果物特有の香りがなければ、使う理由がなくなってしまいます。甘味と酸味と色だけでは何の果物だか分らないではありませんか。

本来果物はその香りによって自分の存在を知らせているのだと思うのです。りんごがりんごであって梨でも桃でもない、他の果物と区別する要素は唯一香りにある、甘いか甘くないか、酸っぱいか酸っぱくないか、固いか柔らかいか、などはその果物を特定する要素にはならない、と私は考えています。

りんごにも洋なしにも桃にも、さらには杏やラズベリーにも、どこかバラの花を思わせる、うっとりするような香りがあります。そしてそれぞれに異なった特有の香りがあります。それこそが果物にとって最も重要なことだと思うのです。


そして、りんごは、りんごに限りませんが、生でそのまま食べる場合でも、お菓子作りに使う場合でも、果肉の質が緻密できめ細やかなことが大事です。
このところ手にはいるりんごのほとんどは、よく言えば非常にジューシーですが、口の中で噛んでいると大量の水分と繊維のかすとに分離して、果肉はどこに?といった感じなのです。果肉の内容が充実していないのです。
このようなりんごをお菓子作りに使っても、いい結果は望めません。オーブンで焼いても身縮みが激しく、外側はつっぱった皮みたいになり、中には身がほとんどないといった感じになります。ジャムのように煮てもバターでソテーしても、大量の水分が分離して、まるで水煮のようになってしまいます。煮詰めるのにも時間がかかり、目減りが激しく、もともと乏しい香りが全くと言っていいくらいなくなってしまいます。

香りの乏しさや果肉の希薄さは、ミネラル分や栄養素の少なさから来ていると思われます。

どうしてこんなりんごばかりになってしまったのだろう…?


果物に火を通して食べる習慣があまりない日本人の多くは、りんごにシャキシャキ感を求めるようです。りんごに限らず、他の果物でも、また、野菜でもシャキシャキとしてみずみずしいものを好むようです。フランス料理ではよく果物に火を通して食べますし、洋なしの果肉はクリーミー、柿はスプーンですくって食べるほど熟させ、野菜も非常に柔らかく調理することが多いのと、いい対照ですね。

シャキシャキ感を好むのはそれが鮮度の証しだったからだと思うのです。りんごは日が経つとそのシャキシャキ感がなくなって、柔らかくなり、ぼそぼそとした感じになります。産地では「ボケる」と言うそうですが、ボケたのはつまり古くなった、悪くなった、につながって嫌われたものと思われます。

とれたてならば、どんな種類のりんごでもシャシャキとしてみずみずしいものです。そして日が経つとともにボケていきます。しかし、都市化が進んだ現在、それでは商売にならない、日が経ってもシャキシャキ感を保つような品種や育て方が選ばれてきたのではないでしょうか。その結果が皮が丈夫で、繊維が強く、糖度の高い水分を大量に含むスポンジ状の果肉のりんごばかりになったのではないかと思われます。いわばシャキシャキ感だけがひとり歩きして、甘くてシャキシャキ感さえあればいいという風になってしまったのではないかと思うのです。


考え方をちょっと変えてみたらどうでしょう。

お分かりのように、シャキシャキ感は今や必ずしも鮮度の証しとはなっていないのです。ならば、シャキシャキ感をおいしさの唯一の、あるいは優先する尺度とする感覚を考え直してみてはいかがでしょう。

甘さに関しても同じようなことがいえます。今は甘いものは摂りすぎを心配しなければならない程ふんだんに有り、また、加工食品には砂糖や、その他の色々な種類の糖がたくさん使われています。それに加えてこの国では料理にも砂糖を使う習慣があります。果物に甘さを求める必要性は少なくなっていると思うのです。
果物に甘さは欲しいですが、甘ければいいというものではありません。


‘本当に美味しいりんごはボケても美味しい。’ましてお菓子に使う場合は少しくらいボケてもほとんど問題とはなりません。その方がいいこともありますし、長く置いておくと、えもいわれぬ魅惑的な香りに変わることさえあります。随分昔に美味しいりんごがあった時に、冷蔵庫で春までとっておいても充分に美味しく、お菓子にも使えていたことを覚えています。
大事なことは香りと果肉の内容の充実なのです。


このような考え方を理解していただける生産者の方、いらっしゃらないでしょうか?